頑固な親をあっという間に克服できる魔法の言葉

 
いつもご覧いただきありがとうございます。
農業パーソナルトレーナーの山下弘幸です。
今回はのテーマは「頑固な親をあっという間に克服できる魔法の言葉」
若手農業後継者の悩みを聞くと
雇用の問題、資金の問題、農地の問題、栽培技術の問題など様々ですが、
その中でも一番根が深いのが
「親の問題」です。
親と話が合わない、親が分かってくれない、親が任せてくれないなどなど
親との確執はどこのご家庭にもあるようです。
私は、若手農業者から「親の問題」について相談されると
親を克服したいって若手農家の気持ちがわかる反面、親が許してくれないからって
農業がうまく出来ない理由を親のせいにして、親に甘えているんじゃないの?
って思ったりもします。
なぜなら、自分がそうだったからです。
今回は
これまで誰にも話したことがなかった「私が親を克服した話」です。
すべて、私の経験をもと「私が感じてきたこと」を書いています。
内容は若手農業者が抱える「闇」の話です。
一部違和感を
感じられる箇所があるかもしれませんが、
悩んでいる若手農業者の背中を押してあげることができればとの思いで書かせていただきます。
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私は就農して7年目の27歳の時に親と正面からぶつかりました。
正確に言えば就農して2,3回家から逃げ出しましたので再々就農して3年目のころの話になります。
どうしてぶつかったかというと
父に我が家の経営を譲ってくれと直談判したからです。
私の地域では65歳になると後継者に家業を譲るという
暗黙の了解があって、その掟を周りの農家は守るのが普通でした。
しかし、27歳の時に私自分が親方となって家業(農業経営)采配を振るいたいって
決心して父に直談判したんです。
父にしてみれば青天の霹靂。
まさか自分の息子が「経営権を譲れっ」て言ってくるなんて思っていなかったはずです
それもそのはず。当時の父はまだ55歳。父も祖父から経営を引き継いだのが
37歳のころだったのでまだ経営権を貰って18年しかたっていなかったのです。
残り10年自分が思う存分経営をやって満を持して息子に経営を譲る
父にしてみればそういう算段だったはず・・・・
それを私がフライングで「経営を譲れっ」て言ったもんだから
父も当然ブチ切れます!
「何言ってんだ―?お前に経営なんて100年早いわー!」
「寝言みたいなこと言ってんじゃねーぞ!」
当時、働き盛りで我が家の経営は絶好調だったころです。
元々、口が悪く、中卒で実家の後を継いだ私の父はあまり世間を知りません。
田舎で生まれ、田舎で育ち、田舎の価値観しかない、いわゆる田舎のおやじで、
地方に多い「お山の大将」の典型的タイプだったのです。
父は、全てが自分中心で、母や、祖父、祖母の意見なんて聞こうともせず、
自分がすべて正しいって本気で思っている方でした。
人の意見を聞こうなんて「これっぽっち」もない頑固で圧の強い父に
私は子供のころから一斉逆らえませんでした。
(今風に言えばパワハラタイプ)
少しでも反抗しようものなら
「誰のおかげで飯が食えてるって思ってんだ!」
「文句あるなら、服も、かばんも何もかもおいて今すぐ出ていけ!」
そう怒鳴り散らし、挙句の果てには
母に八つ当たりして家の中はいつも険悪な空気が流れていました。
こういう出来事が子供のころから頻繁にあって
このトラウマで
静かに、荒波を立てないように、父の機嫌を取りながら
ひっそりと暮らす。
これが、私が選択した「賢く生きる方法」でした。
私の感情に追い打ちをかけるのは父の「世間から評判」でした。
「お父さんは立派な人ですね。人望もあって、あんなに素晴らしい人はいませんよ」。
これが、地域の人々からの父への評価です。
そうなんです。私の父は外面は最高によくて地元では1.2の人物と評されていたのです。
そして私もおとなしく自我を抑えて父の理想の息子を演じていれば
世間では親の後を継ぐ立派な農業後継者として
地域のリーダになれる人材として高い評価を得ることができていました。
だから、自分を殺して
じっと、父の操り人形になってさえいれば
我が家は平穏無事、父も私も家族も世間から高評価を得ることができる。
そう思って過ごしていました。
しかし、27歳の時に決断します。親から権限を奪うことに。
きっかけは家族を持ったことでした。
家族を持ったことで自立心が沸き上がってきたのです。
今でこそ、農業も各家族化し、親との同居ではなく別居での
自分家族と親家族とで生計を分けているのが当たり前になってきましたが、
当時は、同居が当たり前。
いくら結婚したからといえ、あくまで親(家主)の扶養家族でしかなかったのです。
私はそれがフツーだと思っていましたが、
私と結婚したフツーの家庭で育った妻はそうは思いません。
なぜ?私たち夫婦は親の扶養でいなきゃいけないの?
なぜ?自分たちで独立して農業をやったり、生計を立ててはいけないの?
なぜ?お父さんの言う通りにしなければいけないの?
なぜ?自分たちの思う農業ができないの?
妻からのなぜ?なぜ?なぜ?攻撃が始まります。
今までは親の価値観に引きずられ、今度は妻の価値観に攻撃され始めたのです。
このような状況に置かれている若手農業者が結構多いのではないでしょうか?
そのような若手農業者のタイプは
たいがい、地域の役職を受けて地域のリーダーと呼ばれている方に多いのです。
こういう私みたいなタイプは
親とぶつかるのを避けて、活躍できるエネルギーを我が家の経営ではなく
他の環境で活かそうとしているのです。
私は経験上、
農業、農村で活躍している方に限って
親のカベに悩んでいる人が多いような気がしています。
私もそうでした。
私はは農村、地域では農協や自治体から期待され
地域のリーダーとしてちやほやされ、調子に乗っていました。
当然、
親に対してクーデターを起こそうなんて思いませんでした。
しかし、逆にそのことに不満を抱く妻と戦い始めました。
地域の役職をたくさん受けて、毎晩のように何かしらの会合という飲み会に出かけ
奥さん、子供ないがしろにし始めます。
家に帰ると、妻の小言に突き合わされ、夫婦げんかになります。
家にいたくないから
また、会合という名の飲み会へ行き、家を空ける日が増えていきます。
いわゆる
家庭崩壊の負のループにはまってしまったのです。
地元の会合には同じような境遇の仲間がいて
互いに傷をなめ合います。
「親はわかってくれんよねー」「妻もわかってくれんよねー」って
自分以外を敵とみなし、自分を正当化してくれるひとたち。
それを私は「仲間」と呼んでいました。
こういう会合は私にとって最高の空間であり、最高の仲間でした。
しかし、
そんな生活を続けていると、悲劇が訪れます。
妻が子供連れて家を出て行ってしまったのです。
これが親を克服できなかった私の最悪のシナリオです。
結局、
勇気を振り絞って父に直談判し、自立した生活を得ましたが、
そこに至るには半年間もいがみ合い、険悪な空気が流れ続けていました。
結局
毎日毎日戦って最後のは父が折れて経営権を得たわけなんですが、
その後も父との確執はずっとつづきました。
妻や子供たちは戻ってきましたが、
親とは不仲になりました。
それでも早くから経営を始めたおかげで苦労もありましたが
農業経営というモノを早く経験することができ、妻、家族の協力もあって
安定した農業経営を行うことができました。
一方で
不仲になった父と
和解したのはつい、3年前です。
つまり、
私が27歳から47歳まで かれこれ20年間も不仲でいがみ合っていたんです。
今思えば、なんであんなに父を憎んでいたんだろ?って
不思議に思います。
今思えば、父は父なりに私のことを考えてくれていたのだと思います。
だけど、父は昔の人ですから息子と男同志、面と向かって話をするなんてことは
一斉しませんでした。
だまって、俺の言うことを聞けって感じでしたから
今になって父のことがわかるようになってきました。
私の子供も当時の私と同じくらいの年になってきたので。
おそらく私の子供も父親である私の事を受け入れていなんだなーってことが。
でも、親からすれば子供子供です。子供のことを考えないわけがない。
ただ、その気持ちが伝わっていないいんだろうなーって気が付いています。
今になってわかります。
親もなんで俺の気持ちが分かんないんだってもやもやしていたんだってことが。
おそらく、私の父も気が付いていたんだろうなー
息子が自分に反発しているってこと。そしておそらくもやもやしていたんだろうなーって
親は子供の30年遅れって言われます。
そりゃそうでうしょう。
新しい時代を生きてきた子供からすれば親がやってることはすべて
時代遅れに感じます。
しかし、親からしてみれば子供がやっていることなんて
青臭くて見てられません。
この親と子の価値の違いは一生交わることはないんです。
私の父も未だに自分が正しいって言い張っています(笑)
ですから、親との関係で悩んでいる若手農家さんがいたら
こう言いたいんです。
「今すぐ経営を奪え」って
いずれ父が丸くなって息子(娘)に期待して経営を安心して
任せるときがくる?なんて思ったら大間違いです。
そんな日は一生来ません。
親は死んでもあなたのことを見張っています(笑)
ですから、
どうせ、親は認めてくれたり、任せてくれたりしないんだから、
一日でも早く主導権を奪うんです。
そして1日も早く「自己責任」で農業を始めるんです。
親の顔色伺って農業やってるようじゃ
いつまでたっても正しい決断判断実行ができません。
自分が親方(社長)にならないと本気農業はできないって
私はそう思っています。
間違っているのは親でも、妻でもなく、自分自身だということに
早く気づいてください。
それに気づかづに、離婚した若手農家もたくさんいらっしゃいます。
ただ、私みたいに親と戦かうのは良くないですね。
親子関係がぎくしゃくしますから。
そこで、そうならないで
頑固な親をあっという間に克服できる魔法の言葉を伝授したいと思います。
これは少し訓練が要りますが、実践するとかなり有効です。
特に頑固な親にこそ「効果てきめんです!」
何をやるのかというと、
親の意見を聞くとき、親と会話をするときは
「そうだよね、わかるよ」って必ず最初に言うのです。
自分の意見を言う前に必ず「そうだよね、わかるよ」って
そう言ってから、「でもさー、とか、いやその件に関しては・・・」って
自分の意見を言うのです。
つまり最初に
あなたが言っている意見(話)はわかるって必ず同調するのです。
たったこれだけでいいのです。
そうすると親は「自分の息子(娘)もようやく俺の話を聞くようになったって
勝手に思います。
つまり、この魔法のセリフを言うことで、
親は子供が「成長した」って思うんです。
でも、安心してください。
「そうだよね、わかるよ」って同調しただけで
「親の意見を受け入れろ」ってことではないのです。
親子って関係が近いからついつい甘えてしまうんです。
だから平気で生意気なこと親に対して言っちゃうんです。
これまでのように親の意見に対して
「いや違う」とか「でも、それじゃー」とか、「そんなことやったって意味ない」とか
親の意見とぶつかっていると
いつまでもたっても親は「うちの息子(娘)は俺の言ってることがわかんないって
まだまだ子供だな」って思われてしまいます。
でっすから、
ここはあなたが一芝居打つのです。
大人になったって思わせるフレーズで
「へーそうなんだ、うんうん、わかるよ」
そうやって、あなたが経営の主導権を握るのです。
自分のためにも奥さんのためににも、
結論、
30年遅れの親に任せていては
新しい時代の農業に乗り遅れてしまいますよ(^^♪
豊かな農業人生を送るためには
頑固な親は
「そうだよね、わかるよ」っていう魔法の言葉で
克服しましょう!
 

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